2008年02月15日
遊郭の成立
本当に高貴な人々だったんですね。
今では考えられないですね。
近代以降の遊郭
1872年(明治5年)、成立したばかりの明治政府によって芸娼妓解放令が発令されたが、実態はほとんど変わらなかった。ただし都市化の進展と共に、遊廓の存在が問題になり、郊外などへ移転させられる事例もあった(例:東大の近くにあった根津遊廓が深川の洲崎に移転、など)
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)にはGHQの政策により公娼制度が廃止されるが、カフェーや料亭などと看板を変えて、ほぼそのまま「赤線」の通称で呼ばれる地域になった。1956年、売春防止法が成立し、1958年3月31日、同法の施行と共に公娼地域としての遊廓の歴史は、完全に幕を閉じる事になった。
現在公認の娼婦街はないが、東京の吉原や、大阪の飛田新地など、当時の趣をそのまま残している地域もいくつかある。又、かつての公娼街がその後もソープランドや風俗営業の多く集まる地域となり、公娼地域まがいに営業を続けている所などもある。
権力の統制と保護を受け、遊郭として1箇所に集められるのは、近世以降のことである。豊臣秀吉の治世に、遊郭を設けるため京の原三郎左衛門と林又一郎が願い出を秀吉にしており許可を得ている。今の大阪の道頓堀川北岸にも遊廓がつくられた。その5年後(1589年 天正17年)には、京都、二条柳町に遊廓が作られた。大阪と京都の遊廓は17世紀前半に、それぞれ新町(新町遊廓)と朱雀野(島原遊廓)に移転した。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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